ぶどう園の廃園に歯止めを
太子町は大阪府の東南部に位置し、古くからぶどう栽培が盛んな町です。しかし、平成に入り栽培面積は5割ほど減少しており、ぶどう園を閉園する農家が後を絶ちません。そこで、都市住民による援農体制をつくるため平成12年に「南河内ぶどう塾」を立ち上げ、知識・技術指導に力を注いできました。平成24年には『NPO法人 太子町ぶどう塾』として法人化し、社会的信用を高め、より体系的な援農体制を目指しています。塾生はぶどう塾(座学・実習)で1年間学び、卒業後にNPOへ登録することで援農隊となり、「農家支援」・「自主管理園でのぶどう栽培」・「ぶどう塾の運営支援」に取り組みます。
「循環型」が太子町ぶどう塾の強み
理事長の佐藤さんは「自主管理園があることはうちの良さかもしれません。」とおっしゃいます。自主管理園とは、廃園を卒業生で管理・栽培しているぶどう園です。援農活動のなかで習得した各農家のテクニックを自主管理園での栽培に活かせる喜びがあります。結果として援農隊の技術向上へつながり、農家からも喜ばれ、よい循環がうまれているのです。援農隊から新規就農者が誕生することこそが、本当の意味でのぶどう園の存続につながる、と考える佐藤さんは新規就農者の頓挫を防ぐ努力もされています。
「ぶどうは自然にまかせておけばできるわけでもなくて、知識だけでもうまくいかない。だから就農希望者には、まず『相談できる農業者』をしっかりと見つけるように、って言ってるんです。」と話してくださいました。
長く続く秘訣は「連携の良さ」
松井さんが「役場の人間はぶどう栽培の知識がないので座学なんてとてもできませんが、そこを農の普及課が請け負ってくださって本当にありがたいです。」と言うと、「ひとえに理事長の人柄ですよ。」と湯之谷さん。佐藤さんは「この連携の良さも長く続けてこられた秘訣かなあ。」とにこやかにおっしゃいます。
NPO法人の運営は佐藤さんはじめ農家と地域住民で行い、ぶどう塾・援農関連の発信や会議室の手配等は町役場が担当、そしてぶどう塾の座学は農の普及課が請け負うという連携で成り立っています。これまでの道のりは決して平坦ではなく、新たな課題もあります。それでも佐藤さんは、「うまくいくときもいかないときも全部楽しい。最期はぶどう園で…って思いますよ。」と。ぶどう栽培が人生そのものであり、その言葉の奥には後生へ繋ぐことへの使命感が隠れているように見えました。